柑橘系ランナー

ランニングと山と日常

競技のことしか考えていなかった私がOMOTENASHIを提供するまで

1.  はじめに

こんにちは。裏Advent Calendar 10日目を担当します、橘孝祐(横浜国立大学2013入学)と申します。

adventar.org

これまでAdvent Calendar は見る専門でしたが、ここにきて筆をとって自分の考えをまとめてみようかなと思い裏でこっそりと書きます。駄文をお許しください。

主な実績としては

個人戦

・インカレロング2016 5位(5位で胴上げする幸せ野郎でした)

・全日本スプリント 2018 5位(こいつ5位ばっかりだな)

・関東パークOツアー 5連覇 2015-2019(5がでてくる実績をひねり出しました)

団体戦

・AsJYOC 2015スプリントリレー優勝

・インカレリレー2015 4位

・インカレリレー2016 3位(私が順位を下げました)

です。

大学院を卒業し社会に出て3年が経過しようとしていますが、何とか日々トレーニング時間を捻出することができています。まだしばらくは競技として頑張りたいです。競技的な取り組みを書くのは目標とする結果を出してからにしようと思います。

今回は運営に対する向き合い方と、自分にとって新たなチャレンジとなったAsJYOC 2019のことをメインに、オリエンテーリング全体とのかかわりについて書きたいと思います。

2. 学生時代の大会運営

現役時代の大会運営

学生時代はKOLCで過ごしました。今でこそ学生の中でも存在感のある団体ですが、私が入った当初はインカレ選手権で上位争いをする男子の選手はおらず、1年生時のミドルセレAエリート(当時はAエリート、Bエリート、一般と分かれていた)は0人。ましてや自前で大会を開くなんてことは考えにも及びませんでした。

入部してからどっぷり競技にのめりこんだ私は、「KOLC内にいるだけでは速くなれない」と考え、積極的に外部の練習会に参加するようになりました。

kslejnnvrsn.hatenablog.com

一方で、参加すれどもすれども一向にピリッとした成績は出ず、2年生・3年生のロングセレには落ち、早生まれの利点を生かして臨んだ3年生のJWOC選考会もセレレースで3位ながら代表選手に選ばれることはありませんでした。

そんな風に競技にのめりこんで3年目、同期のK泉氏が「KOLC大会を復活させるんだ!」と強い意志を持って実行委員長を引き受け、KOLC復活大会@塩谷田所の開催にこぎつけました。私は内心「大会運営よりも他の大会や練習会に行って速くならないと」と思っていましたが、団体の調和や同期のやる気に感化されて「コースプランナーなら競技に関連しているしやってもいいよ」というリアクティブな形でプランナーを引き受けました。

この大会はやや特別で、日本学連のなんちゃら事業という形でたてつき、地図作製はやまちゃんことY氏がすべて担うというものでした。KOLCのメンバーは地図についてとやかく言うことはあれど、地図調査を一切行いませんでした。私の後輩の世代からは、Wonderful New Terrain「筏場」で地図調査スキルを高め、団体の力で地図を作製する力があります。今考えると、「地図調査をしたことがない」というのは今の主要な学生団体に所属する人にとっては違和感があるかもしれません。

okinfo.hatenablog.com

そんなこんなで、私の同期世代がメインで運営する大会は成功に終わり、これ以降毎年のようにKOLC大会が開かれることとなります。

okinfo.hatenablog.com

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現役引退-オフィシャル時代の大会運営

雪の積もったマキノ高原で散った翌月、私はKOLCのオフィシャルを引き受けました。大学卒業後も大学院生としてキャンパスに通う私は、競技者として「現役学生のライバルになる」ことを目標とし、今や日本チャンプとなった伊藤樹やインカレ史上最も多くのメダルを獲得した稲森剛らと切磋琢磨する日々を送ります。

そんな中、引退した同期たちの間ではちらほらインカレ運営を志す(巻き込まれる)者が現れます。KOLC大会を復活させた同期のK泉氏もその一人で、「いつかK泉インカレを開くんだ」と語っていました。K泉氏と私は思考がかみ合わないことを学生生活の4年間で理解していたので、今回の私も例にもれず「このままオフィシャルを続けることでインカレ運営から逃れ続けたい」と内心は思っていました。実際に、その翌年もオフィシャルを引き受け、学生の間にインカレ運営を経験することはありませんでした。開催してもらった分だけインカレ運営をする「インカレポイント」という暗黙のオリエンテーリング貢献度が嫌いで、義務感でやる運営なんてクソくらえと思っていました。

 

それでも運営から完全に逃れることはできません。

 

紆余曲折あり、2017年度関東/北信越スプリントセレの実行委員長兼競技責任者を引き受けてしまいます。

最近のセレクションは単独での開催が当たり前ですが、2017年までは地域クラブの大会に相乗りする形で開かれていました。(2015年:京葉OLクラブ大会と共催、2016年:上尾OLC大会と共催)あらかじめテレインを確保していた大会に相乗りするのと、テレインを一から探すのとでは難易度が桁違いです。この運営でも例外ではなく、目を付けたテレインでコースを組み試走したものの渉外に失敗し、あわや開催できないかもしれない危機がありました。このピンチはレジェンドM越先生のご厚意により静岡大学で開催できることになり何とか無事に終わります。(イベントアドバイザーのS穂さんにも大変お世話になりました)

学生時代にロクに運営をしないまま、引退してから急に実行委員長兼競技責任者という重責を負うと、これまで抱いていた運営したくなさに拍車がかかります。オフィシャル時代にメインで運営した大会はこれが唯一で、他は学連合宿のプランナー・伊豆大島大会After合宿のプランナーなどでいい感じにお茶を濁しつつ、オフィシャル活動と競技に精を出していました。幸せなことに、オフィシャル最終年のインカレミドル・リレーで完全燃焼できました。

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2年連続1.2.3独占で泣いた

3. 社会人の大会運営- AsJYOC

日本で初めてのAsJYOC開催に向けて

そんなこんなで学生+オフィシャルも終わり、社会人生活が始まります。意識高くして臨んだ就職活動の気持ちを1年ぶりに取り戻し、スタートダッシュが肝心と意気揚々と研修に臨んでいました。

そんなワクワクドキドキ新入社員生活の開始からさかのぼること数か月前の11月、日本で初めてのAsJYOCが翌年の夏に開催されるので運営しないかと誘われました。

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僕は煉○さんではないので誘いに乗ります

運営者として特筆したスキルを持たない私ですが、第一回AsJYOC@香港に出場していたこともあり「何か貢献したい!」という気持ちがありました。一方で、4月から社会人になることへの不安もあり、「平運営者で!」というのを前面に出して運営にJoinします。今考えれば、こんなに早くから平運営者を募集するはずがありません。

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最初は平運営者のつもりだった

AsJYOCの運営については運営責任者のしばけんが以下に詳細を書いてくれているので、こちらもご参照ください。

アジアユース運営はしんどさ9割でした。

国際交流係改めOMOTENASHI

私が担当するのは「国際交流係」でした。これはジュニアユース大会ならではの性質で、各国の若い世代が楽しく交流できるようなアクティビティを大会スケジュールの中に組み込んでくださいというものです。IOFのルールにもしっかり記載されています。

"The event shall have a social, rather than a competitive, atmosphere letting young people exchange experience and find new friends." 

香港の大会でも、各々がプレゼントを持ちこんで交換するクリスマスイベントや香港の街を観光する日、最終日の夜にはアジア式バンケットが設けられ、非常に楽しい時間を過ごしました。

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香港大会では前日に各国からアクティビティを考えるよう言われ、日本Teamは「Banana Relay」を提案しました。台湾人のバナナを食べるスピードが異次元でした。

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国際交流大成功

国際交流係といっても運営入りした当初は一人で、大会の合間にあるレストデーだけの担当だったのですが、バンケットやセレモニーを含めて「OMOTENASHI」チームが結成されます。日本のおもてなし文化を体現し、参加者に楽しんで帰ってもらうというのがチーム名の由来です。「国際交流係」よりも親しみがあって好きです。

OMOTENASHIチームの活動はこれまでのどの運営にも無い新しさがありました。何せ競技の成立不成立に一切関係がない上に、ゴールが「参加者に楽しんでもらうこと」と非常にシンプルです。自由なアイディアと比較的余裕のある予算の中でやりたい放題やらせてもらい、最終的には

  • スプリントの日の夜に立食パーティ
  • 立食パーティー後のナイトアクティビティ(Real Escape Game x Orienteering)
  • レストデー(午前:ほうとう作り体験、午後:まきば公園、ハイジの村、スパティオ体験工房に分かれて観光)
  • 表彰式のセレモニー
  • バンケット

とやらせてもらいました。チームメンバーや英語全般をサポートしてくれた海外対応チームのみなさんのご協力もあり、無事に終わらせることができました。

参加者の過去のAdvent Calender にも「楽しかった!」とコメントいただき、大成功です。

AsJYOC体験記 - オリエンティア Advent Calendar

今まではコースを組んだり、競技の成立に神経を注ぎながらゴール閉鎖まで気の抜けない競技責任者をしてばかりだったので、「人を楽しませること」ことがこんなに楽しいのか、という自分の新たな側面も知ることができました。自分の嫌いだった「義務感」や「何か貢献しなければ・・・」という気持ちから運営入りすることが多かったのですが、今回は非常にポジティブな気持ちで運営を終えることができました。

4. 最後に-オリエンテーリング界との向き合い方

運営をする人はエライです。これは正真正銘の事実です。運営をする人はエライ。運営をする人はエライ。義務感で動ける人は本当にエライです。インカレが開催し続けられているのも、誰かが勇気とかけがえのない時間を振り絞って動いてくれているからです。

一方で、運営の重責を担うということは日常生活への影響は計り知れません。社会人ならなおさらで、仕事と競技と運営の3足のわらじは最強の人でない限り履けません。

「自分の好き/得意なことでオリエンテーリング界に貢献する」

多くの人はこのスタンスでよいと考えています。大会運営が、そしてオリエンテーリングそのものが嫌いにならないように、どうしても無理になったら声を上げてください。

一方で、全ての運営は終わってみれば「よい経験だったなぁ」となっているということも併せて伝えておきます。これまで様々な大会で運営をご一緒してくださった方、ありがとうございました。

先輩同期後輩が次々と競技の第一線からリタイヤする中で頑張り続けること、これも私の中でのオリエンテーリング界への向き合い方です。しばらくは引き続き競技を頑張ります。