大掃除の掘り出し物
今年はコロナというのもあり、例年は祖母宅に帰省していた年末年始であるが、10年以上振りに実家で過ごしている。
現在は一人暮らしをしているが、実家の自分の部屋から必要なものだけを持って飛び出したという形なので、わりと散らかっている。そろそろ片付けたらという親の圧に負け、やる気を出して掃除に精を出した1日であった。
モノを大量に捨てる大掃除は人生の節目に行ってきた。
高校入学、大学入学、(社会人スタート)
それぞれのタイミングで不必要なモノを捨ててきたつもりであるが、今改めて部屋を見返すとあまりの不必要なモノの多さにびっくりしてしまう。
そもそも社会人になったタイミングで持ち出していないということは、今の日常生活において全く必要のないものであったということに疑いはない。部屋を掃除して初めて思い出した品も多い。それらを処分するのに躊躇いはあまりなかった。
それでもなお、今の実家の自室に残っているモノは「思い出」の欠片である。この部屋を使い始めて15年、決して短くない時間を過ごしてきた。一つ一つのモノを見て思い出す記憶がこの部屋には残っている。
中高打ち込んだ部活の写真、高校時代の友人との写真、大学受験ラストスパート時の勉強メモ、大学の部活のアレコレ、幾度となく挫折して同じようなところで終わっている英語用ノート。
それらを見て「まだ捨てられないな」と思うのは、自分も含めた誰かがこの部屋を訪れた際に「こんなこともあってさ〜」と振り返るといった状態が心地良いと思っているからかもしれない。残されたモノ達がそれ以外の用途に用いられることは想像しがたいのだ。
そんなことを、大学入学直後に入ったテニサーに馴染めずにすぐ辞めた友人からもらったテニスラケットを見ながら思っていた。
今後そのラケットでテニスをすることはないだろうが、そんな何気ない記憶を思い出させてくれただけで儲け物である。
彼は今何をしているだろうか。