IOLD大会@湯ノ岳山麓
2022年オリエンテーリング初め
久々のフォレストのニューテレイン
下手をすると2021全日本以来かもしれない。
簡単に良かったところと良くなかったところをまとめる。
■よかったところ
- レースの入りが良かった(5ぽくらいまで)
- 難しいテレインでレースをおしまいにする大ミスをしなかった
■よくなかったところ
- Eカードが3分前枠で死んで、替えのEカードをもらいあたふたしたままスタート(靴ひもをテープで止め忘れるという失態)
- ルート取りが保守的
- 中盤~終盤でミスを重ねてしまう
ルート取りが保守的な例は以下の2レッグが象徴的であるが、もう少し直線的なルートを選択したかった。それができなかったのは以下が原因だと考えている。
- 足元が汚いところ(ハッチや藪)を無意識に避けている
- 登りが続くところで耐え切れず、途中でルート変更
特に前者の足元の件については、小径につられてしまっているなと感じる。
距離が膨らむとどうしたって遅いということを再度意識する必要がある。(50m膨らんだら、仮に道走りのそこそこの速さで走っても15~20秒かかる。)
ミスを重ねてしまったのは以下のレッグ。
13を外したのは本当に恥ずかしいのだが、それはそれとしてより問題なのは14と15。
14は直進してからのコントロール周りの認識がほとんどできていなかったし、15に至ってはまともなルートチョイスができていない状態で走り出してしまっている。
何度見返しても
「わざわざそんな薮いところ通らなくても・・・」
という気持ちになった。
最中も、川に出るくらいまではまともな思考ができておらず、
「あーー川に出ちゃったな」
と思ったところで、通りやすいところを現地で通っていたらいつの間にかめっちゃ薮いところを通らざるを得なくなっていた。
ミスをした後のレッグの脱出は特に意識的に止まるようにしないとと感じた。
序盤は汚い足元と容赦ない登りに負けないタフさ、終盤は高負荷のナビゲーションが続いた中で頭をクリアに保てるか が試されていたと思う。
前者は距離に関するマインドの切り替えとフィジカル強化、後者はもう日ごろから読図走したりオリエンテーリングの機会を増やすしか頭に負荷を与えられないなと思っている。
一時期沈んでいた同期達がまた元気になり始めてなにより。
次のオリエンテーリングが楽しみだ。
百八式反省号
Thank you 煩悩滅却百八式
年内最後のターゲットレースが終わった。ときわ走林会主催の百八式は多くのオリエンティアが慣れ親しんだ日光の地で3年ぶりに開催された。
当日の日光は寒気が入って気温自体は非常に寒く、時間帯によっては雪もちらついていたが、大雪や嵐になるようなことはなかった。
前回大会のOK-Infoはこちら
ときわ走林会のみなさん、運営ありがとうございました!
反省を兼ねて備忘録的に書き残します。
百八式への取り組み
3年前の百八式に向けたトレーニングと同様に、長時間行動への耐性をつけて臨んだ。
- 想定移動時間よりも長い時間のトレランを2回
- サイクリングで4時間かけてテレインに向かい、到着後すぐに1時間レースをし、また家までサイクリングで4時間かけて帰る「逆デュアスロン」
一方で、ここ1か月で実施したフォレストオリエンテーリングの機会は、12/4に出身クラブのコーチとして参加した富士の練習会のみ。
結果から言うと、オリエンテーリング力が落ちていて自ら沈んでいったような形となった。
レース概況
所野エリア(1→32)
スタートがスタポであることに気づくのに数秒。入りからよくなく、2番で45秒ミス。その後も序盤から脚が売り切れたような感覚で道でもスピードを上げられず、体感として一番つらい区間だった。
15,20,23などもミスを重ねた。
霧降エリア(33→54)
所野エリアの疲れを隠せないまま、頭の方でもミスが出た。39, 45などは普段では考えられないようなミス。46番以降はSaitho選手に追いつかれたこともあり良いテンポで走れた。
不動北エリア(56→67)
道走りで離したSaitho選手に森で追いつかれる展開。大ミスはしなかった。
不動南・愛宕山エリア(68→91)
良い流れに傾いた矢先、72番の脱出で頭がおかしくなって斜面を登り始めてしまう。
後ろから来たRyohey選手に75番から食らいつくも、80番に差し掛かるころに背中は見えなくなった。手持ちのジェルの数を食べつくしたと勘違いし、第三関門エイドのチョコでエネルギー補給。
所野エリア(92-108)
急峻な所野エリアでこんなマイルドに帰ってこれるのかと思うほど、プランナーの優しさが見えた終盤。103番でミスをしてしまった他は良いテンポで回れた。107番の脱出の登りでisym選手とmtnr選手が秒差の戦いをしていて、「20秒前にmtnrがいる。抜けるぞ。」との命を受け道走りで抜き去った。おかげで赤ラップ取れた。
レッグごとの反省
108コントロールもあったのでミスのバラエティにも富んでいた。自分の反省のためにカテゴライズして振り返ってみる。
①コンパス以外のものを見れておらず、コントロール位置の拡大ができていない or 現地での情報を使えていない
②登りや斜面を避けようとした結果ルートが膨らんだ
③数に関するもの(地形の個数、レッグ番号の数字)
④道のどこに出たかが不明確
⑤頭が沸いていた(勘違い or 思い込み)
今後の取り組み
長時間行動に関しては対策していたからクリアできていたものの、オリエンテーリング的には課題がいくつもある。来年は以下を改善したい
①序盤に足が売り切れたような感覚になる問題
これは前から認識はしていたが、具体的に改善アクションに踏み込めていなかった。
足首・ふくらはぎをはじめとする柔軟性、レース当日にじっくりアップをするなどで序盤から攻めた走りができるようになると考えている。
②森を走る≠トレイルを走る
今回はエリア間の移動を兼ねた道走りこそあれ、不整地を走っている時間が比較的長かった。トレイルで対策していたことに意味がなかったとは言わないが、不整地を速く走れるようにならないとオリエンテーリングとしては向上しないなと思った。不整地で地図をあまり読めなかったこともあり、体のバランスをもっと整えて安定感のある走りをしたい。
③さらなるフィジカルの強化
②にも関連するが、これは長く走れるようになることではなく、速く走れるようになるという意味である。Ryohey選手を数レッグ見てそう感じた。森のスピードが違う。
来年もどこかで煩悩滅却の機会があればなと思います。
1年越しのリベンジと仲間
投稿習慣再び
先日、裏Advent Calendarに投稿し、約10か月ぶりにこのBlogを更新することができた。
せっかくなので、時間のある時には更新する習慣をつけていきたい。
(と言いながら、去年も年末年始にいくつか投稿したまま気づけば数か月経過・・・3日坊主になろうが今回は気にしないことにする)
はじめて「オリエンテーリングを辞めようかな」と思った
いくつか見返していて、去年こんなことを書いていたのを見つけた。
2020年度全日本大会@編笠では完全に打ちのめされた。この時は本当に自分のオリエンテーリングが一切通用しなくなってしまった無力感でいっぱいで、丁度仕事面でも2年目となり主担当範囲の拡大に伴い業務負荷が上がってきた頃だった。オリエンテーリング競技の一線からついに「引退」の2文字が頭をちらついた。
社会人になってからはずっと一人でトレーニングをしていた。トレーニング内容は次第に距離稼ぎのJogだけになり、走り出しにも非常にメンタルエネルギーを消費した。「走っただけでエライ」のは間違いないのだが、現状維持どころかゆるやかに下降していった2年間を過ごし、編笠全日本で実力が明らかになった。
仲間がいたから頑張れた1年間
全日本大会後の年末年始にはコロナが再度ぶり返し、様々なオリエンテーリング活動が再び制約されることとなった。参加費等で現在巷をにぎわせているインカレミドルリレーも2年連続で中止となった。県外への移動が厳しく制限される世の中であった。
そんな中、近隣に住む尾崎選手ととある大会の交通を共にしたことをきっかけに、定期的に一緒にトレーニングを行うようになった。
その名も「日曜ロングランナー」。オリエンテーリングがない日曜日の午前中に江戸川をロングラン(20 km超)してお昼ご飯を食べて解散する。最初は二人だったが、次第に尾崎選手の大学の後輩である入江選手や森清選手も一緒に練習するようになった。
最近では近隣に住む奥村選手も加入した。活動は江戸川ロングラン以外にも、スプリント合宿・ハーフマラソン合宿・大会遠征・定例鍋パと多岐に及んでいる。
トレーニング内容は全て尾崎選手(の裏にいらっしゃるコーチ)のメニューになる。もちろん尾崎選手と同じようには走れないので、メンバーはそれぞれのペースでメニューに取り組む。ロングランの時には尾崎選手や入江選手が点になるほど遠くにいってしまうこともあるが、それでもメニューをこなした後には強くなっている実感があった。尾崎選手の人柄もあり、同様にメニューをこなせないことが劣等感になることは一切無かった。
2021年、数えてみれば日曜ロングランナー(尾崎選手とのサシトレーニングも含)として27回練習していた。月平均だと2-3回になるが、尾崎選手・入江選手・森清選手が日本代表として海外遠征していた月もあったので、体感としては月に3-4回練習していた。間違いなく今年の自分にとって非常に重要なコミュニティで、再びオリエンテーリングに競技として取り組む原動力になった。改めて、尾崎選手をはじめとする日曜ロングランナーメンバーに感謝したい。
もう一つ大きなところとしてはstravaがある。
かつては「jognote」というランニングSNSのハードユーザーであったが、2020年3月をもって突如終了した。その代わりとなったのがstravaだ。今年になってからは所属する地域クラブ内でのグループを作り、毎週クラブ内でリーダーボードを共有している。他の人のトレーニングを見て、自分も頑張ろうと思えた。普段のオリエンテーリング大会ではあまり姿を見かけないが、努力を積み重ねている方の存在も知った。
また改めて別の機会にでも書ければであるが、これはクラブカップに向けても良い取り組みだったなと思う。
全日本大会2021@長和町と次の全日本
そんな状態で臨んだ今年の全日本大会、個人目標の入賞こそ達成できなかったものの、ミドル・ロングともに今の自分の実力をおおむね発揮できたと思う。インカレや全日本といった「他の人が準備するようなターゲットレース」に弱かったので、こういう大きな大会でポジティブに終われたことは1つ自信になった。
来年は入賞できるよう、引き続き積み重ねていきます。打倒前中選手。彼より速ければ目標は必ず達成できるはず。
競技のことしか考えていなかった私がOMOTENASHIを提供するまで
1. はじめに
こんにちは。裏Advent Calendar 10日目を担当します、橘孝祐(横浜国立大学2013入学)と申します。
これまでAdvent Calendar は見る専門でしたが、ここにきて筆をとって自分の考えをまとめてみようかなと思い裏でこっそりと書きます。駄文をお許しください。
主な実績としては
■個人戦
・インカレロング2016 5位(5位で胴上げする幸せ野郎でした)
・全日本スプリント 2018 5位(こいつ5位ばっかりだな)
・関東パークOツアー 5連覇 2015-2019(5がでてくる実績をひねり出しました)
■団体戦
・AsJYOC 2015スプリントリレー優勝
・インカレリレー2015 4位
・インカレリレー2016 3位(私が順位を下げました)
です。
大学院を卒業し社会に出て3年が経過しようとしていますが、何とか日々トレーニング時間を捻出することができています。まだしばらくは競技として頑張りたいです。競技的な取り組みを書くのは目標とする結果を出してからにしようと思います。
今回は運営に対する向き合い方と、自分にとって新たなチャレンジとなったAsJYOC 2019のことをメインに、オリエンテーリング全体とのかかわりについて書きたいと思います。
2. 学生時代の大会運営
現役時代の大会運営
学生時代はKOLCで過ごしました。今でこそ学生の中でも存在感のある団体ですが、私が入った当初はインカレ選手権で上位争いをする男子の選手はおらず、1年生時のミドルセレAエリート(当時はAエリート、Bエリート、一般と分かれていた)は0人。ましてや自前で大会を開くなんてことは考えにも及びませんでした。
入部してからどっぷり競技にのめりこんだ私は、「KOLC内にいるだけでは速くなれない」と考え、積極的に外部の練習会に参加するようになりました。
一方で、参加すれどもすれども一向にピリッとした成績は出ず、2年生・3年生のロングセレには落ち、早生まれの利点を生かして臨んだ3年生のJWOC選考会もセレレースで3位ながら代表選手に選ばれることはありませんでした。
そんな風に競技にのめりこんで3年目、同期のK泉氏が「KOLC大会を復活させるんだ!」と強い意志を持って実行委員長を引き受け、KOLC復活大会@塩谷田所の開催にこぎつけました。私は内心「大会運営よりも他の大会や練習会に行って速くならないと」と思っていましたが、団体の調和や同期のやる気に感化されて「コースプランナーなら競技に関連しているしやってもいいよ」というリアクティブな形でプランナーを引き受けました。
この大会はやや特別で、日本学連のなんちゃら事業という形でたてつき、地図作製はやまちゃんことY氏がすべて担うというものでした。KOLCのメンバーは地図についてとやかく言うことはあれど、地図調査を一切行いませんでした。私の後輩の世代からは、Wonderful New Terrain「筏場」で地図調査スキルを高め、団体の力で地図を作製する力があります。今考えると、「地図調査をしたことがない」というのは今の主要な学生団体に所属する人にとっては違和感があるかもしれません。
そんなこんなで、私の同期世代がメインで運営する大会は成功に終わり、これ以降毎年のようにKOLC大会が開かれることとなります。
現役引退-オフィシャル時代の大会運営
雪の積もったマキノ高原で散った翌月、私はKOLCのオフィシャルを引き受けました。大学卒業後も大学院生としてキャンパスに通う私は、競技者として「現役学生のライバルになる」ことを目標とし、今や日本チャンプとなった伊藤樹やインカレ史上最も多くのメダルを獲得した稲森剛らと切磋琢磨する日々を送ります。
そんな中、引退した同期たちの間ではちらほらインカレ運営を志す(巻き込まれる)者が現れます。KOLC大会を復活させた同期のK泉氏もその一人で、「いつかK泉インカレを開くんだ」と語っていました。K泉氏と私は思考がかみ合わないことを学生生活の4年間で理解していたので、今回の私も例にもれず「このままオフィシャルを続けることでインカレ運営から逃れ続けたい」と内心は思っていました。実際に、その翌年もオフィシャルを引き受け、学生の間にインカレ運営を経験することはありませんでした。開催してもらった分だけインカレ運営をする「インカレポイント」という暗黙のオリエンテーリング貢献度が嫌いで、義務感でやる運営なんてクソくらえと思っていました。
それでも運営から完全に逃れることはできません。
紆余曲折あり、2017年度関東/北信越スプリントセレの実行委員長兼競技責任者を引き受けてしまいます。
最近のセレクションは単独での開催が当たり前ですが、2017年までは地域クラブの大会に相乗りする形で開かれていました。(2015年:京葉OLクラブ大会と共催、2016年:上尾OLC大会と共催)あらかじめテレインを確保していた大会に相乗りするのと、テレインを一から探すのとでは難易度が桁違いです。この運営でも例外ではなく、目を付けたテレインでコースを組み試走したものの渉外に失敗し、あわや開催できないかもしれない危機がありました。このピンチはレジェンドM越先生のご厚意により静岡大学で開催できることになり何とか無事に終わります。(イベントアドバイザーのS穂さんにも大変お世話になりました)
学生時代にロクに運営をしないまま、引退してから急に実行委員長兼競技責任者という重責を負うと、これまで抱いていた運営したくなさに拍車がかかります。オフィシャル時代にメインで運営した大会はこれが唯一で、他は学連合宿のプランナー・伊豆大島大会After合宿のプランナーなどでいい感じにお茶を濁しつつ、オフィシャル活動と競技に精を出していました。幸せなことに、オフィシャル最終年のインカレミドル・リレーで完全燃焼できました。
3. 社会人の大会運営- AsJYOC
日本で初めてのAsJYOC開催に向けて
そんなこんなで学生+オフィシャルも終わり、社会人生活が始まります。意識高くして臨んだ就職活動の気持ちを1年ぶりに取り戻し、スタートダッシュが肝心と意気揚々と研修に臨んでいました。
そんなワクワクドキドキ新入社員生活の開始からさかのぼること数か月前の11月、日本で初めてのAsJYOCが翌年の夏に開催されるので運営しないかと誘われました。
運営者として特筆したスキルを持たない私ですが、第一回AsJYOC@香港に出場していたこともあり「何か貢献したい!」という気持ちがありました。一方で、4月から社会人になることへの不安もあり、「平運営者で!」というのを前面に出して運営にJoinします。今考えれば、こんなに早くから平運営者を募集するはずがありません。
AsJYOCの運営については運営責任者のしばけんが以下に詳細を書いてくれているので、こちらもご参照ください。
国際交流係改めOMOTENASHI
私が担当するのは「国際交流係」でした。これはジュニアユース大会ならではの性質で、各国の若い世代が楽しく交流できるようなアクティビティを大会スケジュールの中に組み込んでくださいというものです。IOFのルールにもしっかり記載されています。
"The event shall have a social, rather than a competitive, atmosphere letting young people exchange experience and find new friends."
香港の大会でも、各々がプレゼントを持ちこんで交換するクリスマスイベントや香港の街を観光する日、最終日の夜にはアジア式バンケットが設けられ、非常に楽しい時間を過ごしました。
国際交流係といっても運営入りした当初は一人で、大会の合間にあるレストデーだけの担当だったのですが、バンケットやセレモニーを含めて「OMOTENASHI」チームが結成されます。日本のおもてなし文化を体現し、参加者に楽しんで帰ってもらうというのがチーム名の由来です。「国際交流係」よりも親しみがあって好きです。
OMOTENASHIチームの活動はこれまでのどの運営にも無い新しさがありました。何せ競技の成立不成立に一切関係がない上に、ゴールが「参加者に楽しんでもらうこと」と非常にシンプルです。自由なアイディアと比較的余裕のある予算の中でやりたい放題やらせてもらい、最終的には
- スプリントの日の夜に立食パーティ
- 立食パーティー後のナイトアクティビティ(Real Escape Game x Orienteering)
- レストデー(午前:ほうとう作り体験、午後:まきば公園、ハイジの村、スパティオ体験工房に分かれて観光)
- 表彰式のセレモニー
- バンケット
とやらせてもらいました。チームメンバーや英語全般をサポートしてくれた海外対応チームのみなさんのご協力もあり、無事に終わらせることができました。
参加者の過去のAdvent Calender にも「楽しかった!」とコメントいただき、大成功です。
AsJYOC体験記 - オリエンティア Advent Calendar
今まではコースを組んだり、競技の成立に神経を注ぎながらゴール閉鎖まで気の抜けない競技責任者をしてばかりだったので、「人を楽しませること」ことがこんなに楽しいのか、という自分の新たな側面も知ることができました。自分の嫌いだった「義務感」や「何か貢献しなければ・・・」という気持ちから運営入りすることが多かったのですが、今回は非常にポジティブな気持ちで運営を終えることができました。
4. 最後に-オリエンテーリング界との向き合い方
運営をする人はエライです。これは正真正銘の事実です。運営をする人はエライ。運営をする人はエライ。義務感で動ける人は本当にエライです。インカレが開催し続けられているのも、誰かが勇気とかけがえのない時間を振り絞って動いてくれているからです。
一方で、運営の重責を担うということは日常生活への影響は計り知れません。社会人ならなおさらで、仕事と競技と運営の3足のわらじは最強の人でない限り履けません。
「自分の好き/得意なことでオリエンテーリング界に貢献する」
多くの人はこのスタンスでよいと考えています。大会運営が、そしてオリエンテーリングそのものが嫌いにならないように、どうしても無理になったら声を上げてください。
一方で、全ての運営は終わってみれば「よい経験だったなぁ」となっているということも併せて伝えておきます。これまで様々な大会で運営をご一緒してくださった方、ありがとうございました。
先輩同期後輩が次々と競技の第一線からリタイヤする中で頑張り続けること、これも私の中でのオリエンテーリング界への向き合い方です。しばらくは引き続き競技を頑張ります。
オトナの余裕?
書こう書こうとは頭の片隅くらいにはあったのだが、筆が進まないまま年末年始から二か月が経った。これを更新できるということは余裕があるということなので、ここ二か月は余裕がなかったのかもしれない。先日友人に指摘されて今日は筆(キーボード)をとった。
前回からのアップデートは、注文していたデスクと椅子を組み立てたいことだろうか。
最高に使い勝手はいい。これ無しで仕事してたのが信じられないくらい快適である。
最近は週末を家の近くで過ごすことが多い。
川沿いをちゃちゃっと走り、最寄り駅のランチ開拓をし、家に帰って昼寝をする。これまでの週末と比べて移動時間がない分非常に時間効率は良いが、その分の時間が残念ながらほぼそのまま睡眠時間に消えている。
今日も似たような日であった。違うのはランチ開拓ではなく作り置きのカレーを食べたことくらい。3日目のカレーを食べきった。
お気に入りの番組がある。土曜の22時から30分やっている番組、「あざとくて何が悪いの?」
いつもリアルタイムでは見逃してしまうから、TVerで1週間以内に見ている。今日はリアルタイムで観れたので満足している。
番組では「あざとさ」を再現するドラマがいくつか流れるのだが、その設定が毎回めっちゃいい。会社の同期、先輩、後輩など、世代的にささるシチュエーションも多い。現実では男性率100%の部署で20代すら自分ひとりという環境の対比で番組の良さがより際立つ。頼りになる大人の女性の先輩もいなければ、なんでも話せる中の同期女子、おっちょこちょいな後輩女子なんてものはすべてフィクションの世界である。ただ、そこに妬みとかクソ~とかいう気持ちは一切存在せず、「良さみが深い」という一言でコンテンツを楽しめている気持ちのすがすがしさもある。ちょっぴり大人になったというか、余裕があるなと我ながら思う。
青春を共に過ごしたYUIのセルフカバーアルバムが先週くらいに出た
もうデビュー15周年になるんだなぁとしみじみ。当時はCDを買い漁っていたが、今はAppole Musicのストリーミングで聴けてしまう。収録されている曲はどれもメジャーな曲で、今回用にかなりアレンジされている。一番お気に入りはfeel my soulだなぁ。最近の曲はイントロが極端に短かったりいきなり始まったりするけど、このアレンジは逆にイントロが長くなっている。
二十代後半、自然と落ち着きが出てくるのが何となくわかってきたかもしれない。
まだ4年ある。楽しみで仕方がない。
キーを打ちたがる
年末年始の一週間ほど実家に帰省していた。
帰省と言っても一つとなりの県なので大したことはないのだが。
それでも普段一人で暮らしていると、ご飯を誰かと食べるのが当たり前の状態が何日も続くとそれに慣れてしまい、一人暮らしの部屋に帰った後の一人で食うご飯はどこかさみしい感情があった。
こういう世界になっても人の生活は変わらない。
長期的に計画していた何かができなくなる。できなくなったらどうにかできるように知恵を振り絞る。「困難に直面した時に一番成長する」とはこの通りで、困難をどう解決するか、どう納得のいく形に落とし込めるかを経験すると他の何かで似たような困難があっても解決しやすい。また、困難が起こる前に困難を予測しやすくなる。そういった体験がいわゆる「苦労」するになるのだろうか。苦労せずに「苦労」したい。
新しくキーボードを買った。初めてのメカニカルキーボード。無難に茶軸。ノートPCが英語配列なのでそのまま慣れた英語配列で。
一年近く続けてきたリモートワークであるが、ついに劣悪な環境に耐えることが難しくなってきた。正確には年末の段階でかなり仕事面のモチベーションが下がっていた。
それを解消するために環境を整えている。その第一弾がキーボードだ。
これまではノートパソコンに備え付けのキーボードを使用していたが、これが画面と近い上に肩が窮屈になってなんか疲れる。
今試し打ちしているところであるが、スコスコスコと打てて気持ちよい。もっと文章を打ちたいが頭に文章がない状態になってしまった。
来週にはデスクと椅子がそろい、最後にもっと便利になりそうな小物をそろえるつもりだ。
大掃除の掘り出し物
今年はコロナというのもあり、例年は祖母宅に帰省していた年末年始であるが、10年以上振りに実家で過ごしている。
現在は一人暮らしをしているが、実家の自分の部屋から必要なものだけを持って飛び出したという形なので、わりと散らかっている。そろそろ片付けたらという親の圧に負け、やる気を出して掃除に精を出した1日であった。
モノを大量に捨てる大掃除は人生の節目に行ってきた。
高校入学、大学入学、(社会人スタート)
それぞれのタイミングで不必要なモノを捨ててきたつもりであるが、今改めて部屋を見返すとあまりの不必要なモノの多さにびっくりしてしまう。
そもそも社会人になったタイミングで持ち出していないということは、今の日常生活において全く必要のないものであったということに疑いはない。部屋を掃除して初めて思い出した品も多い。それらを処分するのに躊躇いはあまりなかった。
それでもなお、今の実家の自室に残っているモノは「思い出」の欠片である。この部屋を使い始めて15年、決して短くない時間を過ごしてきた。一つ一つのモノを見て思い出す記憶がこの部屋には残っている。
中高打ち込んだ部活の写真、高校時代の友人との写真、大学受験ラストスパート時の勉強メモ、大学の部活のアレコレ、幾度となく挫折して同じようなところで終わっている英語用ノート。
それらを見て「まだ捨てられないな」と思うのは、自分も含めた誰かがこの部屋を訪れた際に「こんなこともあってさ〜」と振り返るといった状態が心地良いと思っているからかもしれない。残されたモノ達がそれ以外の用途に用いられることは想像しがたいのだ。
そんなことを、大学入学直後に入ったテニサーに馴染めずにすぐ辞めた友人からもらったテニスラケットを見ながら思っていた。
今後そのラケットでテニスをすることはないだろうが、そんな何気ない記憶を思い出させてくれただけで儲け物である。
彼は今何をしているだろうか。